2019年もあと3日・・
拓馬君・・本当に1年は、経つのが早いね・・。
50代後半ともなると、特にそれを感じるようになった・・と、言うことは、これから60代、70代になればもっと早くなるのだろうか・・指数関数的に・・。できれば、80代は迎えたくないので、最長でも後20年ぐらいで”お迎え”が来てくれれば、ありがたいのだが、こればっかりは神様のご都合だし、最近の医学の進歩と考え違いの社会保険体制おかげで、それを許してくれないのかもしれないなぁ・・。
今年は自分にとっては、いろいろな意味で人生の節目になった歳でしたね。まずは、11年間、社長を務めた会社を辞した。自衛官⇒会計士⇒投資銀行と歩んできた職業人人生の最後の10年だったわけで、社長になる前に学んだ(人間関係や社会で働く上での実務などの)事を実践し、検証できたという点では非常に有意義な10年だったように思う。
もっとも”雇われ社長”だったから、お預かりした会社を”まともな会社”に仕立てて、二代目オーナーにお渡しするのが私の責務であったわけで、十二分、それを果たしと自負しているよ・・。でも、正直、辛かったな~~。何が辛かったかって?まあ、それはおいおい話していこう。。。それと、得たモノも多かったけど、失ったものも多かった・・まあ、これは世の常、「等価交換」の原理なのだろうけどね。
何を一番多く失ったかって・・!?それは「時間」だよ、時間!
時間の貴重さは、歳とともに、やはり”指数関数的”に増加していく。社長業って、会社の営業や製造と違って、現場そのものに入るわけではないので、仕事自体(現場)で時間や労力を直接使うわけではないんだけどね・・絶えず、いろいろな事を考えておかないといけないし、習性として「考えるようになってしまう」わけだ・・社長って。だから、私の思考を束縛し続けたのが、この「社長という責任」だったと言うわけだ。
その事を気付かせてくれたのは、辞職の半年前に出会った「ストア哲学」であり、「セネカの言葉」だった。まあ、これの詳しいことは、これから少しずつ話していくとして・・社長を辞めて4か月・・「思考」の自由が、これほどすばらしいとは思わなかった!とにかく、次から次へといろいろな事が思い浮かんでくる・・そして、その一つ一つが、今までの自分の経験と知識に結びついて来ることが実感できるんだ!
そうなんだ!いままで仕事(特に社長業)に拘束されて犠牲となってきた「時間と思考」がいかに大きかったことか!そして、その時間と引き換えに報酬(カネ)を得ていたわけだ! 幸い、贅沢はできない(しようとも思わない)けど、奥様が98歳まで生きられるカネは残せたので、あとは、それを使いながら(今度はカネで時間を交換する)、残された時間を自分の思考のために使いたいと思っているところだよ。
もっとも、まともに頭が動くのはあと5年ぐらいだろうから・・それまでの間、今まで出来なかった、”思考の海”で存分に泳ぎたい。そして、そこで分かったこと、感じたことを君に話していきたいと思う。